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ひとり言

情報も感動も操作できる時代だから大切にしたい触れること

情報も感動も操作できる時代にだから、大切にしたい触れること

 

「ブーム」が生まれ、流行があり、

心が高揚し、盛り上がり、

ニュースやドキュメンタリーあるいはドラマなどの映像や物語に感動し、共感し広がる…

 

それが、真の感動と錯覚する

そこに消費拡大の意図があり、

(その消費も公的なもの私利的なものもあるだろうが)

自分の意志だと勘違いし流されてしまう

それが隠された意図だあったと気づかずに…

 

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過去にCMで集団催眠のようなことができる、と何かで読んだことがある

CMをただ無意識に聞き続けることにより、いつの間にかその商品名を、そのフレーズを

意識の奥深くインプットしていく

子供のころに聞きなじんだCMソングをすらすらと口ずさめる人は少なくないと思います

歌だけならまだしもそこに潜む

「○○はみんな使う」「安いものが良いもの」
「買い替えるのは当たり前」「一家にひとつは定番で持つべき」

という価値観が育ち根付きます

それによって消費の拡大・流行が生まれます

 

 

これは一例だけれど、このように情報・流行・価値観すらも実は操作でき、

一人一人は無力です

 

そこにあらがっても集団意識にいつしか飲まれるでしょう

どんな人もうっかり詐欺にあってしまうようなものです

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では何を信じ、どこを向いて生きればいいのか。

 

 

漠然としたはっきりしないものものをそのままに尊重するという

ここからは、トリニティタッチヒーリング的考え、私個人の答えなのです

ご参考程度に読んでください

 

世の中のすべて、確固たるものなど何もなく

すべてはぼやけ移り変わっています

そこをまず知ること

不確かなことに無理やり意味づけなどせずにあるがままに見てみる

「諸行無常」などの言葉がちょっとしっくりくる感じです

はっきりしないことそのまま尊重し、無理やり理解を求めずに

そのまま受け止める度量、まずそこ

でもけっしていい加減にほっておくのとは違います

追い込まず、無理やり意味付けせずに尊重することです

 

そして身近な人、触れ合える距離の人とのつながりを大切にしていくこと

寄り添いあうこと

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そうしていくといずれ「集団意識」から、自分なりの価値観にたどり着くでしょう

 

 

…参考までに

昨今の「流行」は先述とは真逆の

「いかに物を買わずに過ごすか」「ニューではなくリノベーション」

「自産自消的な考え」「個の尊重」「助け合う・つながる」

でしょうか

 

これも一見とてもよい価値観な感じがしますが、

周りに流されず自分の考えと照らし合わせていくのがよいと思うのです

 

なんだか、また固い話でした

 

せめて最後はきれいな画像で和んでください

春を感じる「ねこやなぎ 」です

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一歩踏み出す時に必要なことって何だと思う?

雨は好きですか、嫌いですか?

 

時によって変わるかもしれません

 

雨は雨でしかないのに

時に心地よいものになり

時にうっとおしいものになる

例えば

好きな人と過ごす時の雨は好き

嫌な人に会わねばならない時の雨はよけいに足を重くするみたいに

 

私?

今日の雨は 好きです

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そう書くと今日、私の気持ちはいいんだなと思えるでしょう(笑)

 

そうなのです、この雨が祖母のことを思いださせてくれたから

 

さあて、前置きはこのぐらいにして 書きます

 

一歩踏み出す時に必要な事って何だと思う?

 

そうね、勇気

 

そう、モチベーション

 

そうです正解

 

で、それらを生むのは何だと思う?

 

 

それは

重荷とプレッシャー

(…度を越しちゃダメですが)

 

どうしてかっていうと…

 

 

子供のころに聞いた祖母の話から、お話させてくださいね

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祖母はまだ若く(幼さも残るような若さ)、街灯も舗装道路もない村

大切な用事で夜道をほぼ毎日歩いたそうだ

子育て中の祖母は赤ん坊の母を背負いながら

怖くて不安で足もすくむ、でもいかなくちゃならない

背中には守らなくちゃいけないわが子もいる

まっ暗い夜道 足音と風の音が後ろについてくる気がした

努めて明るく「○○ちゃん」と声かけながら

赤ん坊の母は足を少し動かし「あ~」と喃語で答え

 

もし

背負う子がいなければ、早く歩け、きっと用事は早く済むだろう

でもその小さな重いぬくもりがなければ、祖母は夜道を歩く勇気は萎えただろう

柔らかな温かい重荷、守らなくちゃいけないというプレッシャーが

祖母の夜道の一歩一歩を支え、それは

 

人生の夜道も同じことだと思う

 

人生の夜道に必要な「重たいぬくもりと痛いほどの意地」

 

(※同じ道を私も子供のころ歩いたことがある(実はその時聞いた話だったのだが)

もう街灯もつき、舗装されていたが、きっと昔は狸も出ただろう

よく祖母は毎晩のように歩いたものだと心から尊敬した)

 

祖母は語る

 

「あんたのお母さんがいたから行けたんだよ」

 

重たいぬくもり

それは意図しない「寄り添い」

 

そして祖母の意地、プレッシャーが根底にある

こんなことで泣いてたまるか、私には○○がいる、この子を守る!

 

そうした強い気持ちと赤ん坊のぬくもりが祖母の強さとなり

家を守り、子供を8人育て上げ

孫たちが今日も一日無事でありますようにと

毎朝、毎朝、太陽に祈り手を合わせてながら

最期の日を迎えた祖母

 

勇気が出ない、モチベーションが上がらない

そんな時必要なのは何だと思う?

 

祖母の話にその答えを聞いた気がした

 

 

他にも祖母からはこの時代を生ききった女性たちの持つ

日本人女性の強さと、生ぬるくない優しさの話などを聞き その後

これらは私の生き方に大きく影響し、また、トリニティタッチヒーリングの基本にもなっていく

 

この話はまた機会があれば!

 

今日の雨で、ちょっと綴りたくなりました

 

お粗末様でした

 

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我が身を振り返り反省した出来事1

よく行くお店で時々行う物産展。

そこで見聞きしたことをお話させてください

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二つの売り場がありました

両方ともお気に入りで 時々買います

 

とても寒い日でした

 

一つ目の売り場(仮にA店)の女性 30代から40代かな?ナチュラルな雰囲気のメイク

結構美人さんです 感じよい笑顔で

「○○で~す!ひとつ○○円で~す!」と歩く人に呼び掛けています

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私はすっかり買うつもりでそこに来たので

「これひとつ下さい」

 

そしてお釣りのやり取りの時

「今日はこの場所寒いでしょ?」と私

 

(確かに外の風が情け容赦なく店内に吹き込む場所でした)

彼女は笑顔で

「あ、いえ。大きな声出しているから全然!結構暖かいんです!」と


しかし、その手は冷たく小さく震え、唇も青ざめ気味・・・

私は「わ、そうなの?すごいね」とその場を去りました

さすがに、ちょっとそれはやせ我慢じゃないかな?と思いつつ

 

で、向かいの売り場(仮にB店)にいくと(そこの商品もお気に入りです)

そこには白塗りファンデーションと赤い口紅が目立つ(失礼!)70代の女性

笑顔も呼び声もあまりありません

でも私は商品は好きなので

「これひとつ下さい」

 

お釣りのやり取りの際に

「今日のこの場所寒いでしょ?」と私。

彼女はかわいらしい笑顔ではなく

さも当然!というように

「さっむいよ~!こんな寒い日は今までなかったわ」

しっかりと私の目を見て、力強く言い放ちました

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(そうだろう そうだろう…うん)

私は「ですよねぇ」「ありがとう」とお釣りをもらってその場を去りました

ごくごく普通の会話をした気持ちでした

 

しばらく買い物をして、帰り際二つの売り場の前を通ると(出口近くの売り場ですので)

B店はよく見ると先ほどの女性ではなく、同じような雰囲気の、でもたぶん違う70代女性に変わっていました

A店は同じ女性。少しかれたけど大きなはっきりとした声で健気に叫んでいます

 

さて、お客入りが多く売れてる感じが出ているお店はどちらかというと…

 

おや

B店でした

 

 

もちろん商品とか値段もあると思うのですが

パッと見、笑顔とか雰囲気とかで感じよいのはA店(でもなんか雰囲気が固い)

B店は一般的なマニュアルから行くと感じよくないかもしれません(なんかちょっと親近感)

お客様の目をちゃんと見れて、寒ければ寒いといえるその強さ

とても正直な姿勢と商品の信頼がつながっている気がしました

そして確かに真心こめて商品を作っていることはB店の味・品質でよくわかります

A店の商品は好きなんだけど、その完璧にしたい感じや、わざと作られた素朴感が商品にも出ていて

それが時に飽きたりもしていたことに今更ながら思い出しました(B店のはホント飽きません)

プラス思考でナチュラル風に健気に頑張るA店は

「その作られた感が裏目に出ているのかも、頑張っているのに残念、」と思ってしまいます

例えばもし「はい、もう寒いです、でも今日一日大きな声で頑張ってみようと思っています」

とでも言えたらな、なんてお節介なことを思いました

作られたナチュラルさ、やせ我慢交じりのプラス思考

それは人に伝わり、いい気持ちを与えないものだなと改めてしみじみ

 

そして…

A店の彼女は若いころの私を思い出させました

 

嫁に来たばかりの完璧を目指す私

義母に「平気です、私出来ます、頑張ります、大丈夫です」

どんな時も

健気に頑張っていたつもりの私

 

やせ我慢しないで頼ってくれればいいのに…と義母は思ったこともあるでしょう

 

時を経て我が身を振り返り、やっと「素直な言葉」の良さにたどり着いた思いです

 

今?

やせ我慢していないので 徐々に太ってきていますかね(笑)

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まぁそれはさておき、 

 

このA店B店、ほんの一部しか知らないので偏った見方だと思いますが

わざとらしいプラス思考・ナチュラル感よりも、思い切り正直でいた方が、

時に信頼をもらえるんだなという

感想を反省とともに書いてみました

 

お粗末様でした(笑)

 

自分に何ができるだろうか、寄り添うとは、

『あなたは守られていますよ!

まだ知らないあなたが内側で目覚めを待っています

変わりましょう、あなたならできます』

悲しみや孤独の中にある人がその言葉を聞いたとき何を思うのでしょう?

 

あなたならどう感じますか?

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とても勇気をもらえるような言葉に、一時

自分を鼓舞し、前に進むことができるかもしれません

私にもそういう経験はあります

が、「あなたの知らないあなた」が目覚めることは自然と起こることもなく

自分から勇気を振り絞って自分の弱いところを受け入れて認めていかない限り

一歩も前になど進めなかったことを思い知らされていきました

孤独感を抱えていたのでは一歩前に出ることさえ難しいものです

心の中でもいいので誰かが一緒にいないと真の勇気は出てこないものです

 

あるいは、

 

ぬくもりとともに

『一緒にいるよ 一人じゃないよ、お疲れさま』などという一言があったとき

孤独感の代わりに心の中にもぬくもりが広がり

あたたかな涙になったことがあります

悲しい出来事があったとき

はてしない孤独感を感じる時

人には何が必要なのでしょう

 

悲しみに寄り添うことはただ事ではありません

いやがおうでも自分の至らなさを感じ続けます

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それでも、無心で、

その悲しみに

その方に

ただ寄り添うことが

人が人にできる一番のことだと思います

 

 

勇気は与えられるものではなく

おのずから湧き出てくるもの

幸せは与えられるものではなく

おのずから湧き出てくる感覚

そこを一緒に待つ

判断せず

教えもせず、心の声も読み取らず

その方の命を讃嘆し、自分は謙虚でい続けた結果

その方は やがて大切なことに

気づいていきます

 

辛抱とは辛さを抱く…

辛抱強く寄り添える人を私は心より尊敬します

 

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本年もよろしくお願い申し上げます

2017年、平成29年酉年が 始まりました

皆様、明けましておめでとうございます

1080pxDSC_3149.pngのサムネール画像

こちらの写真はマザーヒーリングのエントランスに今年から登場の 鶏のご夫妻です

ご覧のとおり 仲良しです(笑)

写真はyukiさんにとって頂きました

いつもながら いい表情を撮ってくださいます (ありがとうございます)

 

この鳥のように仲睦まじく過ごす年となれたらいいですね

 

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さて、「酉:トリ」にまつわるつれづれ話から…

 

一番鶏(いちばんどり)とは夜明け前の第一声

始まりの象徴ですね

そして「トリ(取り)」といえば紅白などで最後を飾る実力歌手のこと

最後の象徴

「トリ」って最初にも最後に用いられているんだなぁと(漢字はそれぞれ違いますが

音は一緒ですので)そんな風に思いつきました

 

2016年に起きた変化や動乱の中で様々な物や形や社会が生まれ変わっていく

新しいことをはじめるのにぴったりな年、そしてきちんと終わらせる年

そんな年となります

確かに「終わり」は「始まり」と常にセット

月が沈み太陽が昇るみたいに…

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始まりと終わりを繰り返しながら

常に成長していくようなそんな一年になるのでしょう

 

そうしたときに

「言葉」はとても大切な「音」「響き」となり発した人に影響を与えます

 

「初めに言葉ありき」と申します

良き言葉を使うことを意識すると自分らしいサイクルがめぐり始めます

「音」「ことだま」「言葉」「音楽」も今年のキーワードな気がします

 

ということで、

今年はこの言葉から始めます

皆様にとって今年一年は良いことが降り注ぐ年となります!shine

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今年もマザーヒーリングは、常に成長し皆様の気づきと安らぎと元気のお役に立てますよう

全力を傾向けてまいります

 

娘ASUKA共々よろしくお願い申し上げます

 

 

たくさんの感謝を込めて

今年も あと4時間を切りました

慌ただしく年の瀬が過ぎていき お礼のブログを書くのが

こんなに遅い時間となってしまいました

すみません… 

 

こうして、

皆様のおかげ様で

無事に年を越せますことに 心より感謝を申し上げます

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現実にどんなことがおきようと

心明るく過ごすことはできます

無理して明るくするのではありません

内在の力を信じていれば

周りの人の暖かさを頼りに

明るさは取り戻せます

 

良い一年だったと思える方も

さんざんだったと思える方も

来年は良い年となりますように

僭越ながら 心よりお祈り申し上げます

 

どうぞ良いお年をお迎えくださいますように

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未解決というプロセスを満喫しながら生きる度量

ニュースを見ていると

様々な未解決な事件や案件が世の中には山積みされているのがよくわかります

決して手を抜いたわけでもなく、懸命に動いても問題は問題として残り続ける

例えば 随分と長い年月を要している

北方領土問題

先週はこのニュースでもちきりでしたね

一歩前進はあってもまだまだ解決にはならないでしょう

他にも拉致被害者の問題などもありますし、

災害対策も除染処理も…

関係者の皆様の気持ちを考えるとやるせなくなります

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けれども、こうした問題を抱えながらも

日々は過ぎていきます

テレビや娯楽は人々の気持ちをやわらげ

朗らかにさせてくれて

街を行けば明るい宣伝や目をひく新しい商品がたくさん

 

それは個人でも家庭でも同じ

問題は問題としてあることを知りながら

日々の暮らしのルーティンに安心を求め

気をそらす、という現実を送る人は少なくないでしょう

いつか問題と真っ向勝負する日が来るまで

目を背けていたいと思うのは、だれでも同じ気持ちだと思います

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その日々を

『ああ、私は今問題と少し距離を置きたがっている。』と認めずに

セミナーや短期間の講習で(スピリチュアルや自己啓発的な)

わかった、いい学びをした、これで私はまた成長した

と感動したり、

いい仲間と出会えたと喜び

なんだか問題がなくなったと錯覚することがあります

なくなった、とまでいかなくても「これで私は大丈夫」と変に安心し

居心地のよい場所と仲間に気持ちを置いて

問題を抱えた現実をなんとかなるんじゃない?と浅い考えでやり過ごそうとしてしまいそうになります

 

どうぞ、その甘い罠に 心をゆだねないでください

 

 

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誰もが弱い人間ですから、そうなりたくなります

問題から気をそらしていただけ、ほんの休憩なんだと理解し また現実に戻ってきてください

あなたは

そのプロセスを落ち着きながら歩むことができる度量を養うことはできるのです

 

時々目を背けたりしてもいい、仲間と語らうのもいい

でも元気になったら

問題は未解決なのだという現実に戻ってください

元気になった分だけまた取り組むのが上手になります、

成長しています

 

思うに…人生は未解決の連続、

取り組み続け迷い続け、その中で生きる喜びや美しさを見出すのが

本来の生きる喜び醍醐味だったと思いだすでしょう

 

何でも選択できる自由がある、たくさんの情報にあふれた時代だから

今一度、心に留めておきたいと書いてみました


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温度変化に気を付けて

心豊かな年末をお過ごしください

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目的の向こう側(人生の目的について、つれづれ)

人生の目的って何だろう…

 

私は何のために生まれてきたのだろう…

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こういう疑問は文豪たちも哲学者たちも宗教学者たちも

その時代時代で考えてきたこと

 

そしていったんは 答えが出ても、また同じ疑問を考え続けている

人間は目的について考えたいと思う思考パターンをもっている所以だろうか?

目的なしに行動することに不安を持つ所以だろうか?

 

 

そういえば10代のころは本当にそんなことばかり考えていた気がする

 

天命、使命という言葉に心躍り、

自分にも何かあるのだろうか?

まだ未開の能力や、気づいていないパワーをうもれさせているのではないか?

自分は今は大したことが無いけれど、そのうちすごいことをやれるのではないか?

などと思っていた自分

人から軽んじられる自分に嫌気がさしたとき

自分で自分にあきれるほど小さな存在だったと気づいたとき

「まだ目的に気づいていないからね…」と、ごまかすかのように

目の前のことよりも遠い将来や気づかぬ自分の姿に逃げる甘美さ

そういったことが甘苦い記憶としてある

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その場、その場で出し惜しみしたことへの後悔

エゴが勝った自分への嫌気

そしてそれでも生きていた自分を肯定したいという思い

あらがっても、決して離れることが無い自分の嫌な部分

そういうものと、向き合うことを避ける手段として

「生きる目的」という言葉を都合よく使っていた気がする

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そもそも「目的」という言葉を用いる時

まるでそれは「完璧なゴール」のようなイメージを与える

目的に達しない場合、目的を逸脱した場合は「失敗」であり、

目的を見いだせない場合は「失敗」にすら満たないような錯覚に陥る

常に向こう側にあり、追い続けるべきもの、といったイメージ

 

人生に目的は必要か?

生きることそのものが喜びではいけないのか?

成長したいと望みながら小さな達成の積み重ねを喜ぶ人生は

未熟者なのだろうか?

 

 

仮に

「軸」という言葉で「目的」を見つめたとき

それはさながらメーテルリンクの「青い鳥」のお話のように

自分の内側にすべてがあったことに気づくのだと思う

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追い続けるものではなく、内側の(まるで宝箱を開ける思いで)

包装紙を少しづつ解いていくようなときめきをもって

軸を見ていくと

外側の未知なものに取り組むことよりも、少しだけハード

でも、そのうちに満たされゆくのに気づくだろう

 

 

そうしたことを

 

トリニティタッチヒーリングの最中に気づくことが多い

 

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目的の向こう側

それは果てしない未知の世界ではなく

内側の小宇宙さながらの世界

人生に目的があるならば

それは死ぬまで達成することなどできない常に未完成な焦りにも通じる

もし、

人生に軸を持つなら

それは生きている瞬間瞬間に感じ取れる醍醐味となる

 

「目的」も「軸」も

どちらの観念をもつのかはそれぞれの自由

否定しない

 

 

ただ、私は軸の観念がしっくりくるのだと気づいた今朝の

 

つれづれの思い

 

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7月26日

7月26日は誕生日でした

はい、55歳になりました(笑)

 

なんか もう!あ~おばあちゃんですね

 

若い時は、55歳って初老に思えましたもの

でもいざ 自分がその年になってみると、まだまだ未熟でいやになります

 

ところで、7月26日はマヤ暦のお正月(知ってる人は知っている)

今年は青いスペクトルの嵐の年、だそうです

以前に学んだマヤカレンダー(あすわ)によりますと

軌道修正・自己発生・変化・こだわりから解き放たれる・価値観の解放

痛みをエネルギーに変えて新しい展開を起こす・私から変える

などのキーワードが出てきます

ちなみに昨年(2015/07/26~2016/07/24)は

白い惑星の魔法使いの年でした

キーワードは

何もないところから作り出す・クリエイティブ・受け入れがたいことが起こりやすい・

自分がどうするのか考える・受容性・永遠・本質と向き合う・情熱・真実を暴く・古いものの復活

などでした

皆様の昨年と照らし合わせて何か感じることはありますか?そして今年はどう動きましょうか?

 

私自身は孫の誕生や長女夫婦の同居、また長年飼っていた愛犬と愛鳥の死。離れのリフォーム、

仕事ではサロンの部屋の関係でショップの閉店、生徒さんがとても増えたことにより(感謝!)スクールへかけられるようになり、

スタッフも2名のショップスタッフから、1名のパートナースタッフへと変わりました

サロンも雰囲気が変わりましたね(アンティークな小ものも増えて、これも「古いものの復活」かな)

 

・・こう書いてみると変化の年ですね!

変化の渦の中で いつも「自分は今どう動くか」と考えていた気がします

おかげさまで

新しい展開が起きたのもこうした気持ちからでしょうか

 

そして今年は軌道修正しながら、さらに自分のこだわりを解き放ち、新しい展開への変化を起こすのでしょうか

ああ、楽しみ・・というより

スゴそうだわ・・

 

でもとても納得しています

55、ですものね

5という数字は自由や変化。それが並ぶ年になる誕生日に

このマヤ暦がはじまるのですから。

ちなみに私はカバラ数秘術で見ると「5」が運命数、だそうで。

5に縁があるようですね

 

マヤ暦は占いではありません、自分と宇宙や時間をつなげるツールなようなもの

生活の中でちょっとキーワードを意識してみるといろんな発見があり楽しいです

 

この「青いスペクトルの嵐の年」が

皆様にとってよい年となりますように~

 

 

 

これも断捨離かな~フェイスブックについて思うことを書いてみました~

トップページでもお知らせしていますが、

Facebookやめました

退会の仕方がちょっとわかりにくかったし、すぐにアカウントはなくならないそうですが

ちょっとすっきりです

TwitterとMessengerも同じく解除しました

 

フェイスブックを始めた理由は

ホームページのテンプレートにもれなく付いていて、

宣伝のツールとして行うことを勧められたから・・

2011年夏でした

それから5年

 

その効果は・・とみますと

確実にアクセス数は増え、「いいね」でやる気をもらえました

では、確実なご予約につながったかというと

ご予約、ご継続くださる方はフェイスブックとはあまり関係はなかったようです

 

そのことにはしばらく前から気づいていましたが

なんとなく続けていたのは

・人とつながっているのがわかるのがうれしい

・連絡網としての便利さ

・過去のつながりがいまだに継続されている安心感

・形だけでも「友達」という言葉があるから気にかけなければいけないような変な義務感

・写真の魅力

・久しぶりの友人の近況がすぐわかる

・細切れ時間を埋めるのにちょうどいい

などかな?

 

なくなる生活がどうなのかまだ分かりません

でも時間と心がゆったりするのはちょっとわかります

今日は7月24日 明日は25日、マヤ暦では時間を外した日と言われています

時間について、そして集合意識について考えることが多いこの頃でしたので

いいタイミングと思い今日にしました

 

SNSでさみしさを埋めようとすると、反動でさみしさもまた同じようにすぐ感じやすくなります

愚痴をシェアして慰めてもらうのも、幸せなランチをシェアしてちょっとだけ自慢してみるのも

根本は同じ「さみしさ」「ひとこいしさ」ゆえの「自己顕示」な気がします

 

でもね

必要な情報は必ずやってきます

必要な気づきも必ずやってきます

 

自分が軸になり求めていれば!

勝手に流れる情報の渦から拾い出すよりもずっと洗練された情報がやってきます

そこをちょっと忘れていた気がします

 

自分軸の生活を取り戻すのが断捨離

 

私は そこに戻ろうと思いました

 

そんな理由でフェイスブックとはお別れです

とはいえ、これらを否定するつもりは全くありません

もちろん中には必要な情報や、いい気づきもあるのも知っています

これがあるから日々が楽しくなる、孤独感から救われる、と思う人も多いのではないかと思います

ちょっと私には合わなかったな~というだけです

 

 

 

今まで閲覧してくださった皆様ありがとうございます

楽しみにしていてくださった皆様ありがとうございます

「いいね」してくださった皆様ありがとうございます

本当にありがとうございました!!

 

マザーヒーリングの様子も小池の近況もブログでこれまで通りお知らせしていきます

(もうちょっとこまめにできたらいいな、とは思っていますが~)

 

 

 

 

(ブログ下段にもれなくついている「いいね」ボタンも外したいところですが外し方がわからないのでこれは放置します(笑))

 

 

 

 

 

 

 

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